鶴亀算と数学の調和

数学の認識論

 鶴亀算は,小学校算数の代表的なトピックですね.特に中学受験を経験した方は,苦労された経験をよく憶えている方も多いかも知れません.実は,鶴亀算には1000年以上の歴史があります!ということは,今では名の知れた日本の数学者も,子供の頃は鶴亀算で悩んで育った歴史があるのです!

 例えば,約110年前に小学校で鶴亀算を習ったはずの,日本を代表する数学者である岡潔は,「鶴亀算とかの応用問題は,みなうまく解けた記憶がない」と振り返っています.しかし,岡潔さんは,現在ではと呼ばれる現代数学の中心となる概念を創った,真に独創的な世界的な数学者として育ちました.それで,岡さんの名前は現在まで残っているわけです[0].

 この「時代を代表することとなる数学者が,子供の頃は鶴亀算で躓いた」という矛盾を,「学校で習う数学」と「学問としての数学」の違いの,一番鮮やかな例として取り上げて,「現代の数学とは,耳を澄ますことだ」ということを,説き起こしてみようと思います.

鶴亀算の3通りの解き方

簡単な鶴亀算の問題を,3通りで解いて,それぞれの解き方の違いを比べて見たいと思います.まずは,我々現代人に許された文明の利器「方程式」で.次に,小学校の教科書通りに.最後に,鶴亀算の問題の本質に寄り添った,「一番自然な解法は何か?」を考えてみたいと思います.結局,数字が出てくるのは少し鬱陶しいけど,「結局のところ,亀と鶴の違いは何か?」を考えれば,問題は極めて単純なはずなんです!

[問題:鶴亀算]

いま,鶴と亀がいて,頭の数が全部で80,足の数が全部で262である.このとき,鶴と亀はそれぞれ何匹ずつ居ると分かるか?

 これを数学的に解く,と言ったら,まず一番速い方法は「方程式で解く」方法だろう(1).すると,解答は次のように書ける.

[解1]文字$x,y$を使って,鶴が$x$匹,亀が$y$匹居るとする.すると問題の条件は$x$と$y$についての2本の方程式 \begin{align*}x+y&=80&&(1)\\2x+4y&=262&&(2)\end{align*} に翻訳できる.これを解く.$2\times (1)$を$(2)$から辺々引くと$2y=102$を得るから,$y=51$だと分かる.これと$(1)$を併せて,$x=29$も出て来る.つまり,鶴が$29$匹で,亀が$51$匹居ると判る.

解法1と計算機との関係

 なぜ方程式を使うと楽に解けるのか?この方程式を使った解法では,鶴亀算の問題を解くために対処すべき論理的な複雑さを,求めたい値を文字$x,y$と置いてしまい,後はこれらの消去を目指すゲームとして機械的な操作に落とし込むことで回避している.従って,一度「方程式」という道具に慣れれば,残りはパズルのような使用感で手を使う代わりに頭は使わなくて済む.一方で,$x,y$と置いて,方程式を立てて,と手はたくさん動かす羽目になる.つまり,「足の数についての情報と,鶴と亀の足の本数の違いから,それぞれの頭数を推測する」という推論活動を,腕の動きに外部化することで済まして居る.これをさらに外部化して,人ではなく自然界の原理にやらせる目的で作った機械を計算機(computer)と言う(2).

 次に,多くの人が正解として習ったであろう解法を提示する.要は,まず「全てが鶴だったら」と考えて,「そこからのズレが実際は亀だった分である」と修正して答えを得る方法である.

[解2]「頭の数が全部で80」と言っても,鶴も亀も頭は1つなので(3),つまり合わせて$80$匹であることが分かる.これがもし全て鶴ならば,足の数は$160$のはずであるが,実際はこれより$102$だけ多い.1匹の亀を1匹の鶴と誤認してしまうと,足の数を2つだけ少なくカウントしてしまうことになる.従って,$102\div 2$の$51$だけ少なくカウントしていたことが分かる.つまり,亀が$51$匹,残りの$80-51=29$匹が鶴である.

解法2のレビュー

今回は,少しトリッキーな論理テクニックを使ったから,計算は簡単な四則演算のみで済む!だから,小学生にも教えらえる.なんと言ったって,$x$も$y$も出てこない!しかし,その代償として,論理の流れは些か複雑になってしまう.読者の方々にも,当時苦労した記憶がある人は多いのではないだろうか?論理も簡単で,計算も簡単な解き方はないものか?

 この論理の繰り出し方を憶えて,さらに応用的な問題でも対応できるように訓練する[4]のが,現代の小学生が経験する中学受験対策に他ならない!これが得意な人も居て,苦手な人も居る.しかしこれは数学を創ることとは全く違う!特に,苦手な人の中でも,次の感想を持った人も居るのではないか?:「「もし全て鶴だったとしたら……」という発想が突飛で不自然である.こんなの教わらずに思い付けるものか!」

 そんなあなたは,実は数学に向いているかも知れない!少なくとも,あなたの違和感は間違っていない!さらに一歩進めて,「鶴と亀は足の本数が違うというのが本質なのだから,その違いをもっと直接的に捉える枠組みがあってしかるべきである」と信じて考察を進めよう.

 亀と鶴の,足の違いの本質は何か?それは,どちらも後ろ足はあるが,亀にはそれに加えて前足もあるので,鶴より足が2本多い.この多い分が亀と鶴を見分ける唯一の方法なのだから,この前足を「亀足」と名付けよう.この本数が分かれば亀の数はすぐに判る.……実は,「亀足」の数はすぐにわかる!最初は魔法のように感じるかも知れないが,次のようにすれば解けるのである.

[解3]次の図のように,亀にしかない2本の足(前足)を「亀足」とし,残った足(鶴にも亀にも2本ずつある後ろ足)を「鶴足」とする.すると定義から,鶴足の数は頭の数の2倍だから,$160$ある.従って,残る$262-160=102$が亀足だから,亀は$51$匹である.残る$80-51=29$匹が鶴.

鶴と亀の違いは,亀には「亀足」があることである.これに注目すると議論はすっきりする.
解法3のレビュー

いま,何が起こったか?これは,亀と鶴という現実の概念を抽象化して,「前足」と「後ろ足」に落とし込んだ.こっちの物の見方の方が自然だったのだ!後ろ足の総数はすぐに160とわかるから,前足の数もすぐにわかる.今回,前足とは亀と同義だ!この解法は,解法1よりも論理が(慣れれば)簡単で,解法2よりも計算が簡単である.また,この考え方には,「方程式」ほどではないが,発展性がある[5].

解法3に数学の本質を見る

 現代の数学とは,このように「鶴と亀」という現実の問題からスタートして,「前足と後ろ足」という「一番問題の枠組みに対して自然な物の見方」を構築する,というような作業を繰り返して,真に洗練されて役に立つ概念道具を創る営みである.そう,数学は実践知の極みでもあるはずである.では,なぜ現実の数学は「実践的な知識」から逆に遠くなってしまうのか?

 数学の概念は,広大な普遍性を備える代わりに,スタート地点の「鶴と亀」からは随分離れてしまい,「抽象的でわかりにくい!」となってしまう.問題設定も一般的すぎて,ほとんどの数学用語や数式は「存在しない楽器のために書かれた楽譜」のようなものとなってしまい,数学を学んだことのない人には「なんの話だよ!」という反応はごもっともである.だが,数学はどこまで抽象的になろうと,結局は「鶴と亀の話」を一般化しただけで,どこへも離陸していないのである!

 では,「存在しない楽器のために書かれた楽譜」が読めるようになるためにはどうすればいいか?答えは,「頭の中にその楽器を一から作るしかない」ということである.「鶴と亀」からスタートして,概念の設計図を一歩一歩追って,頭の中に「数学のピアノ」を作らなきゃいけない!これが,大学以降の数学である.

まとめ
  • 解法1.「方程式」に問題を落とし込んで,計算をする.方程式は極めて強力な道具で,「いますぐ答えが分かれば良い」場合にはベストだが,ここでは問題の発する声に耳を澄ませておらず,オーバーキル感がある.
  • 解法2.論理テクニックを使う.方程式を知らなくても,簡単な計算に落とし込める迂回路があり,これが中学受験ではよく教えられる.
  • 解法3.問題の本質に耳を澄まし,「前足」と「後ろ足」に注目すると,極めて自然に解ける.たかが鶴亀算ごときに執着しすぎの感は否めないが,「数学を創る」ことのミニチュア例になっているだろう.

研究者の発明の才と想像力の質を作っているものは,事柄の発する声を聴こうとする,その注意力の質です.宇宙を作っている事柄は,聞こうと気を配っている人に対しては,疲れることなく自らを語り,自らを明かしているからです.

Alexandre Grothendieck『数学者の孤独な冒険』(「収穫と蒔いた種と」シリーズ) 

鶴亀算で躓いた岡潔と数学の目指す先

鶴亀算で「数学を創る」例を見ました.次は,実際の数学研究での「数学を創る」例を見てみましょう.今回はミニチュア版ではないので,容赦ない外見をした数式が出てきます.ですから,岡潔さんの著作からの言葉を道標として,なんとか通り抜けてみましょう.数学の抽象化の営みの先には何を目指しているのか.キーワードは「調和」です.

 文化勲章を受賞した日本を代表する数学者である岡潔は,随筆「春宵十話」で,自身が小学生だった頃のことを振り返ってこう書いている.

そのころ(=小学校四年生)は計算問題より応用問題の方が良くできたが,六年になると応用問題に難しいのがあり,碁石算や鶴亀算がみなうまく解けた記憶がない.(中略)そのころの記憶から数学的素質を拾うと,確かに応用問題はあまりうまく解けなかった.

岡潔『春宵十話』(光文社,2014)

 では,鶴亀算と,現代の最先端の数学は,どう違うのか?

 岡潔は1963年の文章「数学を志す人に」で,「これから数学をやりたいと思っておられる方に何よりもまず味わっていただきたいと思うのは」と切り出して,ポアンカレの次の言葉を紹介する.

数学の本体は調和の精神である

Henri Poincaré科学の価値

 この言葉について,「ここにいう調和とは真の中における調和であって,芸術のように美の中における調和ではありません,しかし同じく調和であることによって相通じる面があり,しかも美の中における調和の方が感じ取りやすいので,真の中における調和がどんなものかをうかがい知るには優れた芸術にい親しまれるのが最も良い方法だと思います.」と補足をし,「調和」の例として自身の体験を紹介する.

 鶴亀算よりよっぽど込み入った問題であるが,三次方程式の解法にはタルタリアの解法(下式)と呼ばれる16世紀中葉から知られる標準的なものがある.岡潔は研究の途中で三次方程式を解く必要が出てきたが,その公式を忘れたという.そこで逆に良い機会だと言って自分で0から自分で解き方を考えたところ,3日かかって全く別の解法を発見したとのことである.

三次方程式のタルタリアの解法

三次方程式$a_3x^3+a_2x^2+a_1x+a_0=0\;(a_3\ne 0)$は,変数変換$x=y-\frac{a_2}{3a_3}$について,\[y^3+py+q=0\;\qquad\left(p=\frac{-a_2^2+3a_1a_3}{3a_3^2},\;q=\frac{2a_2^3}{27a_3^3}-\frac{a_1a_2}{3a_3^2}+\frac{a_0}{a_3}\right)\]という「標準形」に変換できる.この式に対して,3つの複素数解は次のように表される(実数解は$k=0$の時).
\[y=\omega^k\sqrt[3]{-\frac{q}{2}+\sqrt{\left(\frac{q}{2}\right)^2+\left(\frac{p}{3}\right)^3}}+\omega^{3-k}\sqrt[3]{-\frac{q}{2}-\sqrt{\left(\frac{q}{2}\right)^2+\left(\frac{p}{3}\right)^3}}\qquad(k=0,1,2)\]

タルタリアの解法というのは一代の天才が一生を賭して解いたものなのですが,三次方程式に取り組んだのは彼だけではなく,同時代の多数の数学者がこれにぶつかり,その中でタルタリアがうまく賭けを当てたのだといえます.文芸復興期の人たちにとっては実に一生かかっても解けるかどうか分からないという難問だったのです.その問題がわずか三日間で解けたのはなぜか.それがこの四百年間に数学の調和感というものがそれだけ深まったためだと考えられるのです.調和感が深まれば可能性の選び方,つまりは「希望」というもののあり方が根本的に変わってくるわけで,早く解けるのは当然だといえましょう.そして数学の目標はそこにあるということができます

岡潔「数学を志す人に」(『春宵十話』,光文社,2014)

数学の目指す調和感とは何か

鶴亀算は1000年以上前の中国にて,会計士の育成のために使われた練習問題です.その頃と比べ,社会の現実的な要請からは随分離反してしまったかのように見える数学が目指すところの「調和感」とはなんでしょうか.数学は,計算機をはじめとして,道具を作ることで,「希望」の在り方を変える形式についての科学のことだと説明します.純粋数学は「形式科学」と読んだ方が,その内容をよく説明しているかも知れません.

 そもそも鶴亀算は,上中下3巻立ての古代中国の算術書『孫子算経(さんけい)』の下巻にある問題「雉兎同籠(zhì tù tóng lóng)」に由来する問題設定を持つ.孫子算経とは,度量衡の単位と算木の使い方についての本で,中巻では分数や開閉法などの発展的な算術のアルゴリズム,下巻はそれらの算術を用いて解くべき応用問題を扱っている数学書である.算木も,算盤のように,問題解決の手順を簡単な手続きに落とし込んだいわば「手動計算機」のようなものである(7).

 前述した「数学のピアノ」に名前をつけよう.計算機も,算木も,算盤も,人が使える道具であると同時に,使い方(=アルゴリズム)が決まっている.このようなものと,数学者の脳内に住み着く「数学のピアノ」を併せて,形式(form)と呼ぼう.音楽にも形式がある,それとの類比である.

 例えば,岡潔の源泉の一つとする数学の概念である「層」は,現在たくさんの数学の分野で利用される概念である.岡潔の数学とは全く関係のなかったはずの分野においてさえ,である.層は,特に祈りの高い形式の例である.

 『孫子算経』は,現在の会計士に当たるような専門職養成のための教科書であったと考えられる.計算機のある現代でも,変わらず会計士は専門職である.社会の中で重要な役割を担っているからだ.しかし,数学の立ち位置は変わった(8).

 数学は,「方程式」を初めとして,解法3のように,対象の本質に耳を傾けて得られる着想や概念を,様々な数学的道具にまとめ上げ,それへの形式化された計算・論理的手続きを開発することで人への認知的な負荷を下げ,数学者はより形式化できない柔らかい部分への考察に集中できるようになる,という過程の繰り返しで,多くの概念についての理解を深めてきた.そのうち「論理」と「計算」についてはっきりしてきたのが20Cに入ってからで,これは計算機の発明に結実した.すると,形式化(formalization)はさらに大きな意味を持つようになった(9).

 その結果,現代は算木は使わず,「未知数を文字で置く」という方程式のテクニックを使い,また鶴亀算より複雑な算術問題では,算木でも算盤でもなく,(現代の意味での)計算機を使うようになった.これは,形式が洗練されて行ったのである.実際,大雑把な比較でも,会計士の仕事の効率も,過去とは段違いだろうし,何よりも,計算機の偉大な使い方を開拓した先達により我々の手元に届いているパーソナルコンピュータにより,文化のあり方もすっかり変われば,人々の現実世界に対する希望の持ち方はすっかり変わってしまった[6].

 人間の手続き的処理能力(例えば方程式を解く際の移項などの手続き)に対応して生まれたのが計算機であるから,今後は鶴亀算のような問題を,一番効率よく解く方法とは,「計算機上での扱いになれる」ことに他ならず,つまりプログラミングが新たなリテラシーになりつつあることは不思議でない.現状,違う生活背景を持つ多くの人がプログラミングに関心を持ち,また教育でもプログラミングの占める重要性はましている.鶴亀算の受験業界の中で占める位置も変わっていくだろう.こうして,人間社会へ与えた波及が返ってくるかのように,今後も数学の調和感は全く違った色になっていくだろう.その中でもずっと変わらないのが,数学の「形式科学」としての役割である.

 こうして,計算機は「物の数理的構造に耳を澄ませて解析するのが得意な形式である」という意味で,自然科学・社会科学・人文科学の各種科学に欠かせない道具となり,純粋数学はさらに有用な形式を作るために,数学の概念をさらに洗練させようとする「形式科学」の役割を担う,という棲み分けがはっきりしてきた.そんな数学の歩みの一部を,リアルにお見せしていきたいというのが,このサイトの祈りである.もちろん,このサイトでいう「進化人類学」は前者に対応し,「現代数学」は後者の「形式科学」に対応する.

Mathematics translates concepts into formalisms and applies those formalisms to derive insights that are usually not amenable to a less formal analysis.

Jürgen Jost “Mathematical Concepts” (Springer, 2015)

参考文献・注釈

参考1.野口潤次郎岡潔博士の数学研究と日本文化

 「鶴足亀足法」など,たくさんの用語を借用させていただいた.この文献では,岡先生の仕事の革新性をわかりやすく伝えるための例として鶴亀算とその解法の議論がなされている.興味がある場合,この文献も合わせて読むと数学に対する印象が全く変わるだろう.以下にその一部を引用する.

これは、“鶴足亀足” という概念を新たに導入したことによります。この様に、概念をうまく付けると考える問題がぐっと分かり易くなる。しかし、人の歴史は長いので本当に新しい概念を見いだすのは並大抵ではできません。岡先生は、これを為されたまれなケースで正に天才の業でした。

野口潤次郎岡潔博士の数学研究と日本文化

 岡氏の数学は,その後Henri CartanBourbakiグループの数学者にまず継承され,層の概念を創り出して分野を超えて利用され,さらに時の洗練を受けて現在では学部生でも学習可能な教科書も執筆されている.こうして,人類が一度は無理難題に思えたものでも,数学者たちのたゆまぬ傾聴の努力を通じて,自然な概念と道具に整理されて,人類全体として飼い馴らしていく営みが数学である,と理解できる.戻る

参考2.岡潔『春宵十話』(角川文庫,2014)

 1962年4月からの毎日新聞での連載「春宵十話」に加えて,22編の随筆(「数学を志す人に」も含まれる)が収録されている.

1.方程式は中学校1年生の「数と式」の単元で習う概念である.数を未知数で表し,式を解くという考え方は,開発から成熟まで何百年も要したように,負の数や徹底した形式的操作(=文字はあくまで文字であること)という新規概念への慣れを要するので,首尾良く短時間で方程式の全貌を教えるのは難しく,中学受験業界ではこの解法1は避けられることが殆どである.戻る

2.元々は,例えば解法1での方程式(1)の辺々を2倍する操作$2\times (1)$や,これで得た$y=51$を(1)に代入するだとか,記号を書き換える操作,あるいはその時の人間の腕の動きを「計算」と呼び,これを行う職業に就く人のことをcomputerと読んでいた.これを抽象的にモデル化したものを,数学的概念でチューリング機械(Turing machine)と言い,これにより「計算」の定義が数学的・物理学的にはっきりした.以降,数学は自分自身のことを内省する視点が芽生え(その分野は数学基礎論や数理論理学と呼ばれている),Turing機械の概念は,現在の「計算機」として1つの実を結んだ.

実際,数学者Alan TuringがTuring機械の概念を定義し,Hilbertが提示した決定問題(Entscheidungsproblem)を否定的に解決した論文On Computable Numbers, with an Application to the Entscheidungsproblem (1936)では,名詞computerを代名詞heで受けている.また,Turing機械のheadの遷移状態の説明としてhis “state of mind”などの表現も見られる.つまり,当時はまだ人間が関与せずに計算を自動で実行してくれる,現代の意味でいう”computer”は主流ではなかったことがわかる.


Turing, A.M., On Computable Numbers, with an Application to the Entscheidungsproblem. Proceedings of the London Mathematical Society 2, 42: 230–265. (1936).

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3.ほとんど全ての生物に頭は1つしかないことに,進化的に理由があるのか,それとも本質的に1つしか存在し得ないような器官のことを我々が頭と呼ぶのか,はたまたその両方かは,定かでない.このような論理の糸をたぐるのも,数学(数理モデル)の重要な役割だと筆者は考える.戻る

4.解法2の他の種類の問題(本質的には鶴亀算であるが)への応用の例は,中学受験の参考書や,例えばこのサイトなどに示されている.戻る

5.実は,鶴足亀足の考え方(鶴と亀の違いに注目して直接的に解く)を,「足の数」だけでなく,量的なもの全般に拡張し,量の例として「面積」に代表させた解き方のパターンを,「面積図の方法」と呼ぶ.(そう,鶴亀算は面積図の方法でも解けるのである!).これについては,鶴亀算についてのwikipediaページにも紹介がある.戻る

6.「文化」の語の定義には,種々の分野で提案されているものを総覧するとその数は165にのぼる!

(Kroeber, A. L., & Kluckhohn, C. (1952). Culture: a critical review of concepts and definitionsPapers. Peabody Museum of Archaeology & Ethnology, Harvard University, 47(1), viii, 223.)

しかし,その中でも特に参照すべきは,次の人類学者エドワード・タイラーによるものだろう.

Culture or civilization, taken in its wide ethnographic sense, is that complex whole which includes knowledge, belief, art, morals, law, custom, and any other capabilities and habits acquired by man as a member of society.

(広い人類学の意味でいう文化あるいは文明とは,知識・信仰・芸術・法律・風習・その他,社会の一員としての人の得る能力と習慣とを含む複雑な全体である.)

Edward B. Tylor, Primitive Culture: Researches into the Development of Mythology, Philosophy, Religion, Language, Art, and Custom (1871)

現代人には,現実生活で問題に面したとき,「人に訊く」「自然を観察する」に加えて,新たな選択肢がある.それは「計算機に訊く」である.人によっては「Google検索をする」かも知れないし,「その問題を解くプログラムを組む」であるかも知れない.それこそ「Googleを創業する」であったかも知れない.ここまで来ると広義に取りすぎかも知れないが,「形式のあり方が人々の希望の在り方を決める」ことの例であると言えるだろう.

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7.現在のローマ数字による四則演算の記数法に直接影響したのは,アル=フワーリズミーのものだが,これと孫子算経などの中国数学とは密接な連携があった可能性が示唆されている.戻る

ヨーロッパの研究者達は13世紀に、アル=フワーリズミーによる9世紀初頭の研究のラテン語翻訳から位取りの技法を学んだ。フワーリズミーの表現は、様式的な点でも孫子の除算アルゴリズムとほぼ同じである(例えば、末尾のゼロを表すために空白を使用するなど)。その類似性は、結果が独立した発見ではなかった可能性を示唆している。

ja.wikipedia.org/wiki/中国の数学

8.Alan Turing以前は数学全体が手続き的で,問題解決的で,アルゴリズムを手が覚えることが重視されたという.そこから数学が変質し,「現代数学」という言葉が使われるようになったのはいつであろうか?

ポアンカレーは1912年に亡くなりましたが,彼が数学界を代表した頃になって初めて数学自身は,自分というものはこういうものだという自覚に達したといえましょう.

岡潔「数学を志す人に」(『春宵十話』,光文社,2014)

現代代数学,そして自然現象の研究とは異なる自律的な科学としての数学は,Carl Friedrich Gaussの『数論研究』に始まったと言われる.

Jürgen Jost『現代数学の基礎概念 上』(丸善出版,2019)

教科書に整理される時,数学は『概念の死亡記事』になる.

山下弘一郎『トンガレ Middleteen Agers! 数学 怒りと叛逆のLIVE』(河合出版,1997)

 数学の死体蹴りからなる産業から,数学を押し進める創造力の芽を守らねばならない.勉強を進めるにつれて生じる違和感や勘違いや疑問は,単にあなたに賦された個性なのであって,それ自体に間違いもないのである.周りの環境が,その時代の持つ調和感が,あなたの持つ種から花が咲くまで育ててあげられるかどうかの違いしかないのだ.

革命としてのアートも,プラットホームに吸収された途端にポップカルチャーに堕ちていく―そういう時代を,これからのメディアアーティストは生きていくのです.

落合陽一『魔法の世紀』(PLANETS,2015)

真の創造としての数学も,整理されて教科書にまとまった途端に,受験産業に堕ちていく.もちろん,それも数学の調和に寄与する大きな部分ですが,もちろん,数学の全てではありません.戻る

9.計算機の言語が表現する「プログラム」は,算木や算盤などの手続き的方法を表す,革新的なメディアなのである.

Computer language is “program”, which is a novel formal medium for expressing ideas about methodology.

Mathematics provides a framework for dealing precisely with notions of “what is.” Computation provides a framework for dealing precisely with notions of “how to.”

Harold Abelson, Gerald Jay Sussman, Structure and Interpretation of Computer Programs (講義)

これを,本文最後の引用と併せると,数学から計算機科学への流れがよく見えるのではないかと思う.

Mathematics translates concepts into formalisms and applies those formalisms to derive insights that are usually not amenable to a less formal analysis.

Jürgen Jost “Mathematical Concepts” (Springer, 2015)

これを形式科学(formal science)という.戻る

あの

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数学科出身の統計家志望.

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